STEAM教育、アクティブラーニング、21世紀型教育…「新しい教育」は新しくない?


昨今、未来に向けた新しい教育のありかたについて、様々に議論されている。例えば、「AIが人間の仕事を奪う社会にも対応できる教育とはどのようなものか」、「学校でテクノロジーを効果的に活用するにはどうすればよいか」といった課題が提起されてきた。そのような問いに答えようとする書籍も話題を呼んでいる(『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(荒井紀子著)など)。

また、学校教育改革に関して、「STEAM教育」、「アクティブラーニング」「21世紀型教育」といった新しい教育の用語を耳にすることも増えた。ICTやデジタル技術を教育に活用しイノベーションを起こす「EdTech」も注目を集めるようになり、これらの新しい教育を学校に導入する動きも進んでいる。

しかし、「新しい教育」は、教育についての議論の歴史から考えると、実は新しくないとも捉えることができるのである。

本記事では、新しい教育に関する議論を整理し、それが過去の議論とどのような関係にあるかを考察する。

STEAM教育、アクティブラーニングとは何か―「新しい教育」の共通点―

新しい教育が新しくないとはどういうことか?まず、AI化に対応できる教育、STEAM教育、アクティブラーニング、21世紀型教育といった概念に共通している要素を確認する。それは、「変化の大きい新時代に対応するために、〇〇力を養うことが必要である」という考えが背景にあることだ。以下、新しい教育の概念のうち「STEAM教育」と「アクティブラーニング」を取り上げ、概要と背景にある考え方を確認する。

STEAM教育

「STEAM教育」とは、理数系の素養を重視する「STEM教育」に、Art(芸術)の要素を加えたものである。

STEM教育の「STEM」とは、科学(Science/サイエンス)、技術(Technology/テクノロジー)、工学(Engineering/エンジニアリング)、数学(Mathmatics/数学)の頭文字を取ったものだ。この用語は90年代に米国で使われ始め、科学・数学の基礎を土台に、技術や工学を応用できる人材の育成を目指す教育のことを指す[1]。米国では専門性の高い理工系職に就く人の需要拡大と不足を背景に重視されるようになった[2]。日本では、2010年代からSTEM教育に関連する民間のスクールが数多く展開している[3]ほか、2020年度から順次実施される新学習指導要領で小学校でのプログラミング教育の実施や高校での理数系科目の新設が決まっている。2008年にはSTEM教育に芸術(Art/アート)を加えた「STEAM教育」が提唱された。

STEM教育に芸術分野が追加された「STEAM教育」が提唱され始めた背景には、AIが人間の労働を代替できるようになる時代には、創造力・感性が重要であるとの考えがあるという[4]

アクティブラーニング

アクティブラーニングとは、教員から生徒へ一方向的に講義をするのではなく、生徒の主体的・能動的な授業への参加を促す指導法や学習法のことである。学校では、体験学習、調査学習や教室内でのグループワークやディベートといった学習法が採用されている。新学習指導要領ではアクティブラーニングが「主体的・対話的で深い学び」と表記され、2020年度以降、小中学校・高校で実施されることが決まっている。

小中学校や高校での教育にアクティブラーニングやSTEM教育が導入されることからわかるように、日本の教育政策は「新しい教育」を重視している。文部科学省と経済産業省の担当課長の対談では、以下のような発言があった(参照:https://newswitch.jp/p/13928)。

「変化する状況の中で、それぞれの子どもにとっていま、何が一番大切か、何をなすべきかを自分の頭で判断し行動することを、大人として後押しすることが広い意味での「教育」ですよね」「これまでの教育は、自分の頭の中に知識のタワーを築いて、それを誰にも渡さないという学習スタイルを前提にしていました。ところがAIは明確な構造やデータのあるフィールドにおいては、いともたやすく人知を超えていく。その姿を目の当たりにして、多くの人が、他者と協働することや自ら考え抜く自立した学びの必要性を実感するようになった―。こう受け止めています。もちろん基礎的な学力の確実な定着は大前提です。」

ここからは、「AIの普及などによって大きな変化が起こるこれからの時代には、自立的な思考や主体的な行動ができる能力を育てる教育が必要である」という認識がうかがえる。アクティブラーニングはまさに「主体的・能動的な学び」の実現を目的とした教育方法であり、新時代に必要な力を育てることができるとして注目されているのだろう。

「新しい教育」は実は新しくない ―教育議論の歴史を振り返る―

ここで、上記のような「新しい教育」に対比される「古い教育」とはどのようなものなのかを考えてみよう。「創造力・感性を育む教育」や「主体的・能動的な学びを実現する教育」と対比されるのは、単純に考えれば、「創造力・感性を育むことができない教育」、「受動的・消極的な教育」であると考えられる。これらは、これまで「詰め込み教育」と呼ばれ批判されてきたものではないだろうか。

「詰め込み教育」と表現されるような、一斉授業で教員から子どもへ知識を一方的に注入する学習法は、「系統学習」と呼ばれる学習法の一種である。系統学習は、基礎知識の体系的な習得を重視する。一方、アクティブラーニングのような子どもの自発性や活動を重視する学習法は、「経験学習」と呼ばれることがある。この2つの学習法は、「系統学習vs経験学習」という構図で、明治時代から繰り返し対比されて議論されてきた。以下、『アクティブラーニング』(小針誠著)を参照し、2つの学習法をめぐる議論や実践の歴史を振り返る。

明治~大正時代

明治時代に誕生した学校では、当初は一斉授業形式が採用されていた。当時の一学級の児童数は最大80人。さらに子どもたちは多様な背景を持っていたため、教師が全員に同じ内容を一方的に教える一斉授業形式は明治初期から問題になっていたという。

大正時代には、明治以来の系統主義の教育への批判を受け、子どもが学びの主体となり、子ども一人ひとりの個性や経験を重視する新教育」が提唱された。学校教育では、都市部を中心に創設された「新学校」で、子どもの興味関心や自発性、実践や体験・経験を重視した学習、個別学習などが実施されていた。このような教育は、主体的・能動的な学びを促しており、まさに「アクティブラーニング」であるといえるだろう。

系統主義の教育の問題点を克服したかに見えたアクティブラーニングだが、新教育の実践を行っていた学校では、様々な問題が起き、計画が中止された事例もあった。例えば、個別の自学自習制度を採用していた学校では、学習意欲が低い子どもが取り残されたり、各子どもの学習計画を立てる教員の負担が大きくなりすぎたりすることが問題視されていた。

昭和時代(戦後)

戦後には、戦前の一方的・画一的な教育への反省から、経験主義を原理とする戦後新教育」の実践が目指された。子どもが主体となって情報収集をする社会科の授業など、体験や活動を中心とする学習が広く行われたが、1950年代以降、学力低下への懸念などから、戦後新教育への批判が大きくなった。子どもが教室を這い回っていても「学習」とされることへの皮肉を込めて、「はいまわる経験主義」などと言われることもあった。

このような批判を受けて、1958年に改訂された学習指導要領では系統学習のカリキュラムが採用され、1960年代には授業時間数と学習内容が大幅に増加した。その結果、授業のスピードが上がり、授業の内容を十分に理解できず「落ちこぼれ」と呼ばれる子どもが出てくるようになった。1970年代には学校でいじめや不登校、非行、学級崩壊などが問題となり、詰め込み教育が原因の一つ出ると批判された。それを受けた1977年の学習指導要領では、「ゆとりと充実」という言葉が登場し、授業時間や教育内容が削減された。その後の1980年代以降、日本の教育は30年間にわたって「ゆとり教育」路線を歩んできた。

平成時代

1980年代、中曽根内閣は教育改革を重要な課題として掲げ、臨時教育審議会を設置して議論を行った。その議論では、

「先行き不透明な未来の社会経済においては、明治近代以来の知識の詰め込み教育に代わって、子どもの主体性を活かした指導や学びに改めるべきである」(小針2018, p.178)

という方針が示された。この方針は、1990年代以降の教育改革の議論にも引き継がれ、1993年に改訂された学習指導要領では「生きる力」の育成や個性尊重が謳われた。

「生きる力」とは、「変化の激しいこれからの社会を生きるために」必要な、「自ら課題を発見し解決する力、コミュニケーション能力、物事を多様な観点から考察する力」などであるとされている。その「生きる力」を身につけるために、活動や体験を取り入れた学習を実施する必要があるとされ、2002年から「総合的な学習の時間」がカリキュラムに取り入れられた。

生きる力の育成を目指したゆとり教育は、2003年度と2006年度、国際学力調査PISAの日本の国際順位が大きく低下したことをきっかけに批判にさらされることとなった。その後2008年に改訂された学習指導要領では、授業時数が増やされた一方、総合的な学習の時間の時数は減らされた。しかし、「生きる力」に代表される、知識を中心とした従来の学力とは異なる「新しい学力」の重要性は2010年代に入ってからも議論され続け、2017年に改訂された最新の学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」としてアクティブラーニングの実施が盛り込まれた。一方で、授業時数と学習内容はさらに増やされ、ゆとり教育が学力低下を招いたという批判に応えて系統的な学習を重視していることがわかる。同時に、アクティブラーニングをはじめとする経験主義に基づいた学習も継続され、系統主義と経験主義の両立をめざしていることが伺える。

以上のように、日本の学校教育方針は、「系統主義(明治時代)→経験主義(大正新教育)→系統主義(戦時下教育体制)→経験主義(戦後新教育)→系統主義(1960年代)→経験主義(ゆとり教育)→経験主義と系統主義の両立(ゆとり教育見直し・アクティブラーニング)」と移り変わってきた。

また、1980年代の中曽根内閣の教育改革議論における論理と、1990年代に提唱された「生きる力」を重視する論理、2010年代にアクティブラーニングが必要とされる論理は、不透明な未来に対応できるよう、主体性を重視した教育の必要性を唱えているという点で似通っていることがわかる。

この2点を合わせて考えると、近年の「新しい教育」についての議論は、経験主義と系統主義の2つの学習法の振り子のような関係の中で、過去30年間に繰り返し用いられてきた論理によって展開しているということができるだろう。

つまり、「新しい教育」の提唱は過去の議論の焼き直しであり、新しくないとも考えることができるのである。このような議論の先にある教育とはどのようなものだろうか。関連記事「オンライン学習で教育が変わる? コロナ休校にも対応する「EdTech」とその先にあるもの」では、21世紀の新しい教育に特有の要素である「EdTech」について事例を挙げて紹介し、未来の教育について考察している。